HSPの私が肉を食べない理由──ウォーキング・デッドから競馬場まで

 


私は肉を食べない

私は肉を食べない。正確には、主食としては食べない。ラーメンやカレーなどに入っているのは「残すのは命への冒涜」と思うから食べるけれど、本当は食べたくない。そういう選択をするようになったのは、命の扱い方に違和感を覚えるようになったからです。


きっかけは『ウォーキング・デッド』

この考え方のきっかけは、海外ドラマ『ウォーキング・デッド』でした。好きなバンドのメンバーの勧めで見始めたのですが、血や臓器、屠殺の描写があまりにもリアルで衝撃を受けました。シーズン5かな?屠殺の話が主の時に、食べられなくなった。約3年間は肉そのものを視界に入れるのも辛くなり、麻婆豆腐の赤色すら血に見えて食べられなくなったほどです。時間が経って少し戻りましたが、「がっつり形をした肉」は今も苦手で、何かに紛れた小さな肉片なら食べる。それが今の私の落としどころです。


屠殺について

冷静に考えてみると、屠殺という仕組みは私にはとても重く感じられます。 食べられることを前提に、命が生み、育てられ、そして終わる。 生きることが「食べられるため」だとしたら、それは私にとって辛く、苦しい現実です。

私は肉を食べたくない。


HSPという気づき

コロナ禍の在宅勤務中に、自分がHSP(Highly Sensitive Person)だと気づきました。繊細な人は血やグロテスクなものが苦手だと知り、「ああ、私はそういう特性なんだ」と納得しました。たしかにこれまでにゾンビ映画やホラー映画はあまり見てこなかった。『鬼滅の刃』のようなアニメは楽しめても、リアルな映像はどうしても受け入れられない(鬼滅の刃も見れないというHSPの人にも出会ったことがあります。因みに私は鬼滅の刃は映画を見に行くくらい好きです)。自分の特性を理解することで、肉を避ける選択にも理由があると腑に落ちました。


競馬場で困ること

そんな私にとって、競馬場の食事は大きな壁です。唐揚げ、焼き鳥、ステーキ、ハンバーグ…。どこを見ても肉料理ばかりで、肉を避けたい私には選択肢がほとんどありません。せっかく競馬場に来ても「食べられるものがない」と困ってしまうのです。命を賭けて走る馬を応援する場で、別の命を消費する料理ばかりが並んでいることに、私は強い違和感を覚えます。

さらに、競馬での1着の商品に高級牛肉が出ることがあるのを知ったときは、大きな衝撃を受けました。馬を応援する場で、別の動物の命が賞品になることに、私には受け止めきれない現実でした。


食生活の落としどころ

完全に肉を断つと外食の選択肢が極端に狭くなるので、私は「紛れている小さな肉片は食べる」という形で折り合いをつけています。食べるときは「ありがとう」と思うけれど、本当は食べたくない。競馬場で肉料理ばかりを目にすると、その葛藤が一層強くなるのです。


次のテーマへ

競馬場で楽しむ食事が、肉料理ばかりであること。これを「当たり前」として受け入れるのか、それとも立ち止まって考えるのか。私は肉を主食にしない。それが今の私の答えです。

そしてもうひとつ。競走馬は引退後、行き先が見つからない場合に肥育場へ送られることもあります。肉として屠殺される現実があるのです。 この話は、次のブログで改めて書いてみたいと思います。