乗馬体験に行ってきた。行き先は、17年前に乗馬5級ライセンスを取得するために訪れたことがある乗馬クラブ。まさかまたここに来るとは思ってもいなかった。私はもう乗馬をすることはないと思っていた。けれど、ここ2ヶ月で競馬に夢中になり、馬そのものへの興味が芽生えた。
競馬を好きになったことで、馬たちの引退後の人生に自然と目が向くようになった。YouTubeで見た引退式や、「種牡馬になる」「繁殖牝馬になる」といった言葉を聞いて、ではそれ以外の馬は?という疑問が湧く。そして調べて知ったのは、引退後に乗馬クラブへ行く馬もいれば、行き先がない場合は屠殺され、馬肉になってしまう現実だった。
この事実を知ってから、昔私を乗せてくれた一頭の馬のことがどうしても気になり始めた。その馬が元競走馬だったとしたら、それだけで私の心は高鳴った。そして今も生きているのなら、会いたい。乗りたい。もう、いてもたってもいられなくなった。
でも、馬の名前も、ライセンス取得の年も、乗馬クラブの正確な場所も思い出せない。だいたいの年の幅しか覚えていない。ライセンス証を何度も探したが見つからず、AIに助けを求めた。すると「全国乗馬倶楽部振興協会に聞いてみたら?」という案内が。「本当にあなた信用して大丈夫?」と疑念があった。
数日悩みぬいた末、これしか方法がないと決断して電話をかけた。──すると、そこには私のライセンスの履歴が残っていた!正確な日付、場所、すべて判明。それは私が予想していた乗馬クラブだった。そして、ちょうど私が記憶していた年数の幅にぴったり合っていた。感動と震え。あのときの記憶が少しずつ動き出す。
馬の寿命は25〜30歳。もし7歳で競走馬を引退し、その後乗馬用に再調教された馬だとしたら──今も生きている可能性がギリギリあるかもしれない。いてもたってもいられなくなり、乗馬クラブに予約を入れた。
予約段階でスタッフに「私がライセンス取得時に乗った馬、わかりますか?」と尋ねるも、「分かりません」との返答。ちょっとだけ肩を落とした。あの馬がまだクラブにいたら、見た瞬間に記憶がよみがえるかもしれない。もし私が思い出せなくても…馬が私を覚えていてくれたら──そんな淡い期待すら抱いていた。
数日後、体験の確認のために再度乗馬クラブへ電話をした。応答したのは別の担当者。念のため、同じ質問をしてみた。すると──まさかの展開!その方がデータを探してくれて、馬の名前が判明!さらに、その担当者は当時もクラブにいらっしゃったようで、馬のことを直接教えてくれた。
「もう引退してしまいましたよ。」その一言に、胸がギュッと締めつけられた。でも名前が判明したという喜びは大きかった。それに、これ以上の詳細はクラブに足を運んだ際のお楽しみにしよう──そう思い直した。電話代もかかるし、今は“道筋が見えた”ことを嬉しく噛み締めた。
体験当日。最寄り駅に着くも、まったく記憶がない。17年ぶり、街は変わり、私も変わったのだろう。乗馬クラブに到着して、ようやく「あれ、来たことあるかも」と、うっすら記憶の影が蘇った。
以前は匂いが苦手だった。でも今は違う。競馬場で何度も馬と向き合ったから、馬糞の匂いにもそこまでの抵抗はない。むしろ、厩舎の空気に包まれることが心地いい。馬に触れること、乗ること──すべてが楽しみだった。
体験当日に騎乗した馬。綺麗な顔立ちで、穏やかな性格。怖さもなく、安心して乗れた。ただ騎乗の動きで腰と膝に負担を感じ、ジョッキーへの憧れが少し現実味を失った。
そして、電話で馬の名前を教えてくれたスタッフさんが、まさかの体験の担当者。再会のような気持ちが芽生えた。思いきって「私が乗った馬はどんな子でしたか?」と聞いてみた。外見も性格も今回の馬に似ていたらしい。
──昔私が乗った馬は、元競走馬ではなかったとのことだった。少し残念。競馬ファンとして、競走馬に乗っていたという事実は憧れだから。
それでも、引退後は引退馬たちが集まる牧場へ送られたと聞いて、ほっとした。競走馬かどうか以上に、穏やかな馬生を送れたかどうかが、今の私にとっては何より大切なことだった。そう聞けて、本当に嬉しかった!
一緒に働いていた仲間の馬を、肉にするなんてことはない。そう信じられる乗馬クラブだった。スタッフの言葉からも、その思いやりが伝わった。
聞きたいことは尽きなかった。けれど、17年前に乗った馬について繰り返し尋ねることで、スタッフの語調が変わった。これ以上は聞かない方がいいと、肌で察した。彼らの“過去”に執着する私は、迷惑だったかもしれない。だから、私が乗った馬が、その後何年クラブにいたのか…それを聞きそびれてしまった。
もっと早く競馬に出会っていれば、もっと早く馬に興味を持っていたなら。もう一度、あの子に会えたかもしれない。
17年前の私は、馬に対して強い興味があったわけではなかった。 ただライセンスが欲しくて、目の前の馬を見ても、特別な感情は湧かなかった。 犬や猫のような親しみやすさとは違う距離感もあって、可愛いと思えなかった。 今は違う。競馬を知り、馬の個性や静かな美しさに惹かれるようになった。 だからこそ、あの時の自分が馬に心を向けなかったこと、愛を持って接しなかったこと──その事実が、静かに胸を刺す。 もう一度、あの子に会えたなら。今ならきっと、迷わず、愛せたのに。 それを叶えられないことが、静かに、痛い。
体験の馬はとてもかわいかった。騎乗を終え、馬房に繋いだ時、あくびを2回していた。疲れちゃったんだね。馬にも個性があって、性格が違って、それがたまらなく愛しい。
帰りのバスまで少し時間があったので、netkeibaを片手に乗馬クラブの中を探検してみた。 重賞に出ていた馬の名前を見つけて、「すごい!この馬か…!」と感激しながら馬房を巡った。乗ってみたい気持ちが自然に湧いてきた。 一頭、床や壁に体をバンバン打ちつけている馬がいて、すごい音がしてた。 そして、体験乗馬で乗せてくれた馬にも挨拶へ。体験の時、お話し出来なかったから、ありがとうって。目をしっかり見てくれてたから、さっきの乗せた人って解ってくれたと思う!
乗馬クラブの馬は、元競走馬だと思っていたけれど、そうじゃない子もいた。 競走馬として生まれたけれど、デビューには至らず、乗用馬としての道を歩んだのかもしれない。 あるいは、最初から乗用馬として、生産された子だったのかもしれない。 その背景は分からないけれど、それぞれに馬の物語があるんだなと感じた。
